雑記

思いつくままの雑記です
チェンマイに関すること以外にも、タイや他の国々のこと、想い出等々を思いつくままに綴っていきます。

東京オリンピック(2020年10月14日)

オリンピック

カテゴリー:日本
時期:幼稚園〜

場所:日本



1964年の東京オリンピックは幼稚園時の悪夢でした。母親に連れられ聖火リレーを見に行ったのですが、沿道で延々と待たされ、聖火が通ってもつまらず・・・疲れました。幼稚園では連日テレビで幼稚園児にはつまらない競技を延々と見せられ、外で遊びたいなぁと嘆いていました。夜寝てから母親に「三宅が金メダルを取った」と起こされ・・・迷惑です!幼稚園児にはやっかいな東京オリンピックでした。それがあってか、私はオリンピックにはあまり興味がありませんし、テレビで見ることもありません。ただタイ人がメダルを取るとうれしいです。

1988年のオリンピック開催地決定の時は・・・ソウルを応援していました。日本はもう東京でやったのだから、名古屋ではなくソウルでとの思いでした。特に韓国を応援していたわけではなく、他の都市でも同じ感覚でした。

2020年の東京オリンピック決定の時も同様の理由でイスタンブールを応援していました。それから東京で開催した場合の騒ぎも嫌でした。私の職場ではそれが一般的な感覚でした。今の状況では来年の開催も難しい気がしますが、さてどうなるでしょうか。

最近の雑記

チェンマイラム病院

2020年10月13日
タイの病院


日本の病院では散々嫌な思いをしたので、まず行かなくなりました。10代半ばで、誤診と誤投薬で殺されかけたのが始まりで、以後あちこちの病院に行く度に嫌な思いをし続けました。態度が不遜、対応が遅い、診察がおざなりなど信頼できません。

タイ人の妻に持病があり、日本に来てから複数の大学病院で受診しましたが、どこも英語対応はできませんでした。ある大学病院などは女医から診療拒否されました。別の大学病院では明らかに精神状態が・・・の医師にあたり、病院を変えたこともあります。公立の大病院では受診中に毎回眠ってしまう医師がいて、そのためか午後一の予約なのに診察が夜になってしまうこともありました。街中のクリニックも、もちろん英語対応不可だったので妻一人では行けず苦慮していました。妻も日本の病院を信頼していません。

タイの病院で嫌な思いをしたことはありません。何かあった時は迷わず行っています。

初めて行ったタイの病院はメーホンソンの病院で、まだ移住前の旅行中に持病のぎっくり腰をやった時でした。日本の病院よりはるかに丁寧な診察があり、受付、看護師、医師もとても親切でした。受付から会計まですべて英語で事足りたことも驚きでした。

シーサンワーン病院(メーホンソン)
シーサンワーン病院(メーホンソン)

チェンマイではチェンマイラム病院とマハラート病院に行きました。チェンマイラム病院では内科、整形外科、皮膚科で受診しましたが、毎回受付から会計まで対応がとてもよいです。やはり英語で対応可なので助かります。マハラート病院は内科で受診しました。やはり英語対応可でした。若い女医さんが親切で、しかもすごい美人でした。

チェンマイラム病院
チェンマイラム病院

バンコクのバムルンラード病院はすばらしかったです。もちろん設備もスタッフの対応もよかったのですが、受付カウンターは日本語を始め多言語対応で分かれていることに驚きました。骨折や首のヘルニアなどで何度かお世話になりましたが、毎回とてもよかったです。

バムルンラード病院(バンコク)
バムルンラード病院(バンコク)

バンコクの街中の皮膚科クリニックも的確で、トラートのホテルで虫に食われて数日間全身のかゆみが止まらなかったのですが、即日治癒しました。



学校

2020年10月12日
大学


大学は私立のキリスト教系の英米文学科でした。1年次にキリスト教概論などというやっかいな必履修科目があり、「え?嫌だ!」と思いました。受験前の下調べが足りませんでした。その大学を選んだ理由は第2外国語に当時はまだわりと珍しかったスペイン語があったこと、外国人の教員が多かったこと、当時ファンだった芸能人が在学していたこと(笑)などです。

1年次はクラス単位の必履修科目が中心で、私はクラス内で女子から「ダメっ子グループ」と蔑まさていた男子グループに属していました。よくサボって麻雀などをしていました。おかげで仲間は単位を落としまくり、退学勧告を受けた者も何名かいました。要領はよかった私は単位を落としませんでしたが、「いつも俺たちと一緒に遊んでばかりいたくせに、ふざけんなよ!」と非難されました。

2年次以降は実質的に専攻が2つある状態でした。というか、むしろ他学科の方を専攻しているような状態でした。1年次の春休みに始めたバイトがきっかけで、本来の学科以外に考古学科の講義・ゼミ・実習を履修し、他学科の科目登録制限超過分も聴講の形で受講していました。考古学実習は2年次の週1回180分で、原則として他学科の学生は履修登録できないと明記されている授業でしたが、教授にお願いして例外として履修登録を認めていただきました。前期は測量、夏休みには現場で3週間の合宿、後期は土器・石器の実測図を描いていました。他学科の授業と現場ばかりの生活で本業の方はおろそかにしていました。要領よく卒業後は現場で他学科出身では珍しい調査員(現場監督のようなもの)となり、本来の学科絡みの仕事に就いたのは卒業してから2年後でした。その職業に就こうと決めたのは中学1年生だったので、紆余曲折をし長い道のりとなりました

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