雑記

思いつくままの雑記です
チェンマイに関すること以外にも、タイや他の国々のこと、想い出等々を思いつくままに綴っていきます。

タイの病院(2020年10月13日)

チェンマイラム病院

カテゴリー:タイ
時期:成人後

場所:タイ、日本



日本の病院では散々嫌な思いをしたので、まず行かなくなりました。10代半ばで、誤診と誤投薬で殺されかけたのが始まりで、以後あちこちの病院に行く度に嫌な思いをし続けました。態度が不遜、対応が遅い、診察がおざなりなど信頼できません。

タイ人の妻に持病があり、日本に来てから複数の大学病院で受診しましたが、どこも英語対応はできませんでした。ある大学病院などは女医から診療拒否されました。別の大学病院では明らかに精神状態が・・・の医師にあたり、病院を変えたこともあります。公立の大病院では受診中に毎回眠ってしまう医師がいて、そのためか午後一の予約なのに診察が夜になってしまうこともありました。街中のクリニックも、もちろん英語対応不可だったので妻一人では行けず苦慮していました。妻も日本の病院を信頼していません。

タイの病院で嫌な思いをしたことはありません。何かあった時は迷わず行っています。

初めて行ったタイの病院はメーホンソンの病院で、まだ移住前の旅行中に持病のぎっくり腰をやった時でした。日本の病院よりはるかに丁寧な診察があり、受付、看護師、医師もとても親切でした。受付から会計まですべて英語で事足りたことも驚きでした。

シーサンワーン病院(メーホンソン)
シーサンワーン病院(メーホンソン)

チェンマイではチェンマイラム病院とマハラート病院に行きました。チェンマイラム病院では内科、整形外科、皮膚科で受診しましたが、毎回受付から会計まで対応がとてもよいです。やはり英語で対応可なので助かります。マハラート病院は内科で受診しました。やはり英語対応可でした。若い女医さんが親切で、しかもすごい美人でした。

チェンマイラム病院
チェンマイラム病院

バンコクのバムルンラード病院はすばらしかったです。もちろん設備もスタッフの対応もよかったのですが、受付カウンターは日本語を始め多言語対応で分かれていることに驚きました。骨折や首のヘルニアなどで何度かお世話になりましたが、毎回とてもよかったです。

バムルンラード病院(バンコク)
バムルンラード病院(バンコク)

バンコクの街中の皮膚科クリニックも的確で、トラートのホテルで虫に食われて数日間全身のかゆみが止まらなかったのですが、即日治癒しました。

最近の雑記

学校

2020年10月12日
大学


大学は私立のキリスト教系の英米文学科でした。1年次にキリスト教概論などというやっかいな必履修科目があり、「え?嫌だ!」と思いました。受験前の下調べが足りませんでした。その大学を選んだ理由は第2外国語に当時はまだわりと珍しかったスペイン語があったこと、外国人の教員が多かったこと、当時ファンだった芸能人が在学していたこと(笑)などです。

1年次はクラス単位の必履修科目が中心で、私はクラス内で女子から「ダメっ子グループ」と蔑まさていた男子グループに属していました。よくサボって麻雀などをしていました。おかげで仲間は単位を落としまくり、退学勧告を受けた者も何名かいました。要領はよかった私は単位を落としませんでしたが、「いつも俺たちと一緒に遊んでばかりいたくせに、ふざけんなよ!」と非難されました。

2年次以降は実質的に専攻が2つある状態でした。というか、むしろ他学科の方を専攻しているような状態でした。1年次の春休みに始めたバイトがきっかけで、本来の学科以外に考古学科の講義・ゼミ・実習を履修し、他学科の科目登録制限超過分も聴講の形で受講していました。考古学実習は2年次の週1回180分で、原則として他学科の学生は履修登録できないと明記されている授業でしたが、教授にお願いして例外として履修登録を認めていただきました。前期は測量、夏休みには現場で3週間の合宿、後期は土器・石器の実測図を描いていました。他学科の授業と現場ばかりの生活で本業の方はおろそかにしていました。要領よく卒業後は現場で他学科出身では珍しい調査員(現場監督のようなもの)となり、本来の学科絡みの仕事に就いたのは卒業してから2年後でした。その職業に就こうと決めたのは中学1年生だったので、紆余曲折をし長い道のりとなりました



学校

2020年10月11日
高校


高校は2校通いました。

最初の高校

最初に入学したのは私立のいわゆる進学校でした。入学式の校長のあいさつで「本校では進学以外考えていません」の一言で「こりゃダメだ!」と思いました。中3で始めたバイトを辞めるように担任から強要されたこと、英語の教員とトラブルになったことなどが要因で、GW明けに高校の方を辞めました。他にも短期間で嫌な思いを散々させてくれた高校で、2校目の高校に入学するまで4年かかりました。

高校間の英語学校

18歳の時にロサンゼルスの公立高校の入学許可を取っていたのですが、高校嫌いが収まらず、1年間ロサンゼルスの英語学校に通っていました。韓国人経営の学校で、教頭はアメリカ育ちのタイ人でした。学生は日本人、韓国人、イラン人、メキシコ人、南米系などがいました。20代の学生が一番多く、次いで30代、私は最年少でした。学食の日替わりランチは韓国料理か韓国風和食でこれにハマりました。本業はまだ2部の大学生だった先生と、事務の優しくて可愛い韓国人のお姉さんに憧れていました。この先生との出会いが高校再入学と大学卒業後の就職先に結び付きました。

2校目の高校
2校目は公立のごく普通の高校でした。制服もなく自由な雰囲気で、進学重視ではなく、ぬるま湯のなかでぬくぬくできるようなよい学校でした。ブランクが4年と長かったので最初の1年間は続くかどうか不安もありましたが、楽しい3年間を過ごさせていただきました。

部活には中学時代同様入っていなかったのですが、2年の2学期に英語部を作るから入るようにと言われ、「え~?今更部活?」と思いましたが結局入りました。役割を決める際に、1年生の女子から「雑用係は一番歳を食った人ね!」と名誉ある役職に任命されました。部活外でもデートや毎日1~2時間の電話の話し相手などの雑用を命じられ忙しかったです。

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