雑記

思いつくままの雑記です
チェンマイに関すること以外にも、タイや他の国々のこと、想い出等々を思いつくままに綴っていきます。

ナゴルノ・カラバフ共和国(2020年10月2日)

我らが山

カテゴリー:その他の国々
時期:2014年

場所:ナゴルノ・カラバフ共和国



ナゴルノ・カラバフ共和国がこの数日アゼルバイジャンとアルメニアの戦闘で大変なことになっています。訪れたことがある国なので気がかりです。アルメニアもアゼルバイジャン(パスポートを切り替えてからの入国)もよかったのですが、紛争が早く収まることを願っています。

元々アゼルバイジャンの領土で隣国のアルメニア人が多い地域で、1992年に独立宣言しましたが、承認しているのはアルメニアのみです。アゼルバイジャンとの戦闘が激化し、廃墟と化した街もありました。アルメニア以外の国々はアゼルバイジャンの領土だとしていますが、アゼルバイジャンの主権は及んでいない国です。アルメニアから陸路で入国する以外に方法はありません。通貨もアルメニア・ドラムです。

2014年にアルメニアからバスでナゴルノ・カラバフに入り宿泊しましたが、入国後に首都ステパナケルトの外務省へ行きビザを申請すると言う不思議な国でした。アルメニアとの国境では入国の際はパスポートチェックのみで、出国の際はパスポートのビザと発行時に渡される外務省の書類が必要でした。

ナゴルノ・カラバフ人は懐こかったことが印象に残っています。外国人は珍しく、道を歩くだけで挨拶されまくり、一緒に記念写真も求められました。首都ステパナケルトの郊外にあるシューシの街中はアゼルバイジャンの攻撃で廃墟となった建物の残骸が多く残っていました。観光要素も少ない(情報も少ない)国で首都ステパナケルトの「我らが山」や近郊の廃墟が残るシューシくらいでしょうか。


ステパナケルトの我らが山

シューシの廃墟
シューシの廃墟

シューシの廃墟
シューシの廃墟

シューシのアルメニア教会
シューシのアルメニア教会

シューシの街角
シューシの街角

最近の雑記

傘

2020年10月1日

最も古い記憶は2歳になったばかりの頃、東京の姉の幼稚園での芋掘りが雨で中止になったことです。開始直前に雨がポツポツと少し降って来ただけで中止となり、納得がいかずに「芋掘り!芋掘り!」と言っていたのを覚えています。やはり食べ物の記憶でした。

次の記憶は2歳2か月で、父親の転勤で地方に引っ越した日のことです。母親と二人だけで先行して引っ越した日、私は新しい家に入る気がせずに庭でうろうろしていました。知らない家だというだけではなく、新築の家で木材の臭いが気になったことが大きかったです。何度も母親にせかされしぶしぶ家に入ったことを覚えています。「東京のおうちに帰る!」と何度も言っていたそうです。そこには2年4ヵ月住んでいました。

その後幼稚園に入園するまでの記憶はかなり残っていますが、食べ物の記憶が多いです。道でゴマの入ったせんべいの香りがし、家に帰って母親におねだりをしたら出て来たのはゴマの入っていないせんべいで・・・文句を言えずに黙って食べた記憶は鮮明です。近くにヤギと豚を買っている家があり、一人で遊びに行くといつもサツマイモの天ぷらをくれたことも覚えています。2~3歳児に一人で遊びに行かせていた母親に感謝です。さすがに1キロほど先の公園まで一人で遊びに行った際は、親が行方不明になったと大騒ぎをし、公園で見つかった時は母親に泣かれました。

初めて一人で買い物に行ったのも3歳の時でした。近所のおばさんが10円玉をくれたので近くのお菓子屋さんで5円のオレンジガムを1つ買いました、お釣りの5円を持っていたら母親に怒られると思い、隣のおばさんにあげたら報告が行き、やはり怒られました。もう一つ買えばよかったのですが、いつも姉と二人で1つずつ買っていたので、一人で2つ買うとそこからバレると心配したのです。その後東京に戻り、小学校時代までは買い食い厳禁を言い渡されていましたが、もちろん破っていました。駄菓子屋さんは夢のような世界でしたから。

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